アクセス・駐車場 > 周辺ガイド
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実相院 門跡 |
天台宗寺門派の門跡寺院(住職を皇室一門が務めていた寺院)。枯山水庭園と比叡の山並みを借景とした雄大な庭園があり、滝ノ間に映り込む楓は「新緑の床みどり」、「紅葉の床もみじ」、「冬の雪化床(雪げしょう)」と呼ばれ、有名。
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石座神社 |
石座神社は、旧岩倉村の産土神として信仰され、近代以前は、大雲寺の鎮守社として祀られた。毎年10月23日に近い土曜日に岩倉火祭(京都登録無形民俗文化財)が催される。かつて大蛇退治のために、大松明に火をつけ、炎で退治する意味があり、大松明点火直後の空高く舞い上がる炎は圧巻である。
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総本山妙満寺 |
開基である日什大正師によって創建された顕本法華宗の総本山。俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳(1571~1653)の造営した枯山水の庭が見どころ。歌舞伎などで知られる「道成寺」ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵。
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圓通寺 |
後水尾天皇が修学院離宮に移る前に住んだ山荘。青苔に覆われた枯山水の平庭は周囲に山茶花などの生垣を巡らし、杉・檜の木立を通し、比叡山を望む借景式庭園で、名勝に指定されている。
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三宅八幡宮 |
子供の守り神として「かん虫封じ」「子供の病気平癒」「夜泣き」「学業成就」の後利益で知られる。別名、「虫八幡さん」と呼ばれ親しまれている。推古朝の遣隨使小野妹子が宇佐八幡を現在地に勧請したのが始まり。応神天皇を祭る。
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蓮華寺 |
天台宗。江戸初期の寛文年間(1661-1673)加賀藩の家老今枝近義が洛中から移し再興。本堂前に六角形急勾配の笠をつけた蓮華寺型石灯籠があり、茶人の間で有名。鐘楼には黄檗2世木庵禅師銘のある銅鐘がかかっている。庭園は池泉廻遊式で石川丈山作とも伝える。
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赤山禅院 |
比叡山の西麓にある延暦寺の塔頭。慈覚大師円仁の遺命により888年(仁和4)天台座主安慧が創建。比叡山延暦寺の別院。
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曼殊院門跡 |
天台宗の門跡寺院。五箇室門跡の一つ。門跡とは皇室一門の方々が住職であったことを意味する。最澄が比叡山に建立した一堂に始まり、1656年、良尚法親王のとき現在地に移る。大書院、小書院ともに重要文化材に指定され、美しい室内の欄間や金具などが見られる。
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圓光寺 |
徳川家康公が学問の発展のために閑室元佶師を招いて伏見に建立、後に洛北に移転。圓光寺版と呼ぶ図書も出版、当時の木活字(重文)が現存する。池泉回遊式庭園の「十牛之庭」や水豊かな洛北ならではの趣を演出する水琴窟も有名。
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詩仙堂 丈山寺 |
徳川家康側近であった石川丈山が1641年に隠居場所として建てた草庵。凹凸窠(おうとつか)の詩仙の間に中国の詩人36人を狩野探幽に描かせたのが、寺名の由来になっている。
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大田神社 |
上賀茂神社の摂社で天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつる。境内の大田の沢にはカキツバタの野生群落(天然記念物)があり、藤原俊成の歌にもよまれ、すでに平安時代には有名であった。5月上旬の開花時には参詣人と観賞者でにぎわう。
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上賀茂神社 (世界遺産) |
祭神は賀茂別雷大伸(かもわけいかづちのおおかみ)賀茂氏の氏神を祀る神社。葵祭(賀茂祭)は京都三大祭りの一つとして有名。重要文化財を多く保有し、世界文化遺産に登録され、本殿及び権殿は国宝に指定されている。平成27年の式年遷宮で境内が新しくなった。
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下鴨神社 (世界遺産) |
平安期以前の創祀で京最古の社の一つで山城国一の宮と崇めらた。国事を祈願し、国民の平安を祈る神社として「賀茂斎院の制」「式年遷宮の制」等が定められた。国史跡「糺の森」の広大な境内には本殿(国宝)2棟や53棟の重要文化財社殿が並び、世界文化遺産に登録されている。
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相国寺 |
臨済宗相国寺派大本山。夢窓疎石を勧請開山とし、室町幕府第三代将軍足利義満によって創建された。法堂(重文)は豊臣秀頼の寄進により慶長10年(1605年)に再建され現存最古のものである。天井に狩野光信筆の蟠龍図が描かれ‘鳴き龍’で知られる。境内には相国寺と鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・他塔頭寺院に伝わる寺宝美術品を展示する承天閣美術館があり、伊藤若冲の作品などが常設展示されている。ほか、企画展も行われる。
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今宮神社 |
平安期以前から疫病鎮めに疫神を祀ったといわれる。徳川五代将軍網吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で賑う。春に行われる「やすらい祭」は疫病鎮めの祭りであり、花傘の下に入ると病気にかからないと言われている。
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大徳寺 |
臨済宗大徳寺派の大本山で龍宝山と号する。鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
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岩倉具視幽棲旧宅 |
幕末~明治期の代表的な政治家である岩倉具視(文政8-明治16,1825-1883)が,佐幕派と見なされ攘夷運動の高まりの中で一時失脚して岩倉村に隠棲,当旧宅は元治元年(1864)から慶応3年(1867)までの3年間住居としたもので,昭和7年(1932)に国の史跡に指定された。 |
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京都民芸資料館 |
昭和56年開館。柳宗悦らの民芸運動の精神に沿って集められた1500点の実用工芸品が展示されている。日本を中心にアジア各地の焼き物、染織、絵画、木工などさまざまな工芸品を展示している。また、土蔵造りの建物自体、建築文化として貴重な存在である。
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京都府立植物園 |
日本最古の公立総合植物園として1924年(大正13)の開園。総面積約24万平方メートル、収集栽培植物は約1万2000種類。
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修学院離宮 |
明暦2年~万治2年(1656-59)後水尾上皇が比叡山麓に造営した広大な山荘。
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