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建築と家具

建築と家具Ⅰ

ラウンジの二つの椅子

近代インテリア・デザインの先駆者であり、日本の伝統を<ジャパニーズモダン>として現代に再生させたデザイナー、剣持勇(1912-71)。世界のデザイン界に日本的美学の揺ぎ無い地位を築いた功労者として、今なお国内外で高い評価を受け続けています。1958年、ブリュッセル万国博覧会日本館で前川國男と共作(グランプリ受賞)、同年、「香川県庁舎」で丹下健三と共作するなど、建築家との共同プロジェクトにも積極的に携わっていました。

本来、家具には固定的な建築に対して動かし得る道具という機能があり、人間活動と建築空間の間にあってその機能を果たしていると我々は考えています。その家具の中でも椅子は、人体に直接関係する衣服の次に近い存在として、現代の社会生活になくてはならないものです。

国立京都国際会館の家具を手伝って欲しいと建築家の大谷幸夫先生から声が掛かり、図面と模型を所見したのは1964年の秋頃でしょうか。いくら図面を読んでもイメージしにくい部分があり、現場を見せて頂くことにしました。鉄骨が立ち上がり、フロアーのコンクリートは打設されていた頃です。その大きさ、特に内部空間の巨大さに驚き、この構造スケールとヒューマンスケールをどう調和させるのか、調和でなく戦い取るのかもしれない、と考えたことを思い出します。

建築のインテリアには二つの要素があります。一つは内部空間の構成=それを決定づける大きな骨組みのコンポジション。二つ目は内部空間の皮膚=人間の肌に直に触れ、感情に訴えかける要素。大谷先生はそのように言っておられたと思いますが、この現場から受けた衝撃ははるかに大きく、特に斜めの構造体によって支えられる巨大空間と家具との関係性を考える難しさを感じました。

次に現場に行った時には内部仕上げが決まりだしていて、構造体はプレキャストコンクリートで荒々しい肌合いにカバーされていました。これを見て我々は、ラウンジの椅子の仕上げに外側は木目のはっきりした厚平のシェルターの役目をする木材、その内側に柔らかい布地のクッション材で人間を包み込むことにしました。

必然的にこの椅子はやや固い表情を持ちます。そればかりでこの空間を占めるのはいかにも無策のそしりを免れません。そこで、ティーラウンジが池に面して開放的であるため、布張りの柔らかい曲線で構成される椅子を考えつきました。この二つの椅子の性格の違いを、それぞれの持つ機能と結びつけることで、その構成材料と形に必然性を持たせることが出来るのではないかと考えました。

大谷先生は、『会議は公式には議場で行われるが、非公式にはラウンジでも行われる』と言っておられました。とするとラウンジの椅子は、″離れていて集まってもいる″という機能を持たせることになりそうでした。

建築と家具Ⅱ

国際会議場のための家具

中小会議場のロビーに置く椅子としてデザインされたのは、私のスケッチブックの中で4~5年間熟成させてきた、と言えば格好良いのですが、つまり何回もボツになったアイディアをやっと採りあげて頂いたものでした。様々な理由で何度も却下され、その度に何かしら改良を加えては再提案したものです。これも建築の肌合いとの格闘でしたが、成型合板の外部に柔らかいクッションをはめ込み、天井の低いロビー用に考えた小さめの安楽椅子と長椅子、それに同じ成型合板構造のテーブル類をデザインしました。

我々は中小会議場用の机と椅子も担当しました。机は円形、長円形、馬蹄形にも組める形式にするため、移動も考え、ユニット化を提案しました。と言ってもあまり軽い感じではなく、国際会議に相応しい重量感を優先させました。ユニットを組み立てる時に、そのジョイント部分にあえて大きな目地で机面の不揃いを目立たせないディテールにも苦心しました。それにしても、現在のように移動組立が激しくなるとは想像できませんでした。

会議椅子はFRP製の総張りぐるみにし、軽量化を考えました。ただし、海外の体の大きな参加者が腰をはさまないかは設計段階で大議論になったことを思い出します。

他にも思い出すことと言えば、京の町屋に見かける犬矢来をバリヤー用具(スタンション)としてデザインしたことです。大谷先生の設計はとても良く考えられていて、見るからに複雑な空間構成のため、記者団と会議参加者との接触は少ないと考えていました。それでも抜け道はあるもので、バリヤーが必要な箇所があり、そのための用具は既製品ではこの建物に相応しく思えず、デザインすることにしました。軽量で持ち運びができ、重ねられ、進入拒否の意図が明確に伝わる事等を条件に考え、犬矢来をヒントに竹2枚の成形材をステンレスパイプの脚部にボルトで取り付けた、まさに犬矢来ならぬ記者矢来をデザインしたのです。

その他にも外部で使用する腰掛、屑入れ、灰皿スタンド等々を信楽焼きで製作しました。灰皿スタンドの中でも高岡市で作った鋳鉄製鼎形の灰皿の肌に霰をうまく図面化できずに困ったことを思い出します。それにしても40年も過ぎてしまった家具たちを丁寧に使って頂いたことに感謝申し上げます。

<寄稿文:剣持デザイン研究所 所長 松本哲夫氏 >