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本物の日本文化に出会うひととき

茶室「宝松庵」

茶室「宝松庵」の写真1
茶室「宝松庵」の写真2

日本庭園から宝ヶ池を眺めながら松林を抜け、そっと小路へ足を踏み入れる。するとそこには檜皮葺の数寄屋造りの建物が姿を現します。寄棟屋根は敢えて勾配を変え独特の稜線を作り出し、訪れる者を隔世の侘びの世界へと導いていきます。

茶室「宝松庵」は昭和42年、国際会館オープンの翌年に竣工されました。宝ヶ池の「宝」と寄贈者である会館初代理事長松下幸之助氏(道具類等は裏千家、表千家他からも寄贈されている)の「松」の二文字を頂き、「宝松庵」と名づけられたと言われています。

設計監修は仙アートスタジオ、施工は中村外二氏、庭師は川崎幸次郎氏、指物師は岩木秀斎氏です。中村氏と川崎氏は大阪城内の「豊松庵」、和歌山城内の「紅松庵」など数々の茶室建設に携わっておられ、一種のスタイルを作り出して来られたようです。

国際会議場に付帯する関係上、「宝松庵」は多くの外国人の来場を意識した趣向になっています。冷暖房等空調設備が整い、広間は外部より鑑賞できるような開放的な設計で、十畳風炉先床四畳半切、天井には北山杉小丸太が使用されています。15名程が座れるこの広間は、靴のまま腰掛けることのできる立礼席(約13席)と一体で使用できるようになっており、これは「又新(ゆうしん)席」と称される形式です。立礼席の天井は赤杉木目の網代張、柱は北山丸太、立礼席は太く力感に溢れた档錆(あてさび)丸太を使用しています。床はこれまでの敷瓦ではなく信楽焼の陶板を用いておりますが、これはこの形式の使い始めとされています。

茶室の周囲には樫を中心にあせび、どうだんつつじ等を織り交ぜた生垣を巡らせ外部からの目線を切り、傍らには芝生の野点庭園があります。内側の庭にはつくばい、石灯篭を配置し、地を杉苔で覆い飛び石を配しています。春は桜、夏は新緑、秋には萩・紅葉、冬の雪景色と季節毎に見せる表情は、日本の四季をしみじみと感じさせます。

京都で国際会議を開く意義-。それは「日本文化の真髄に触れること」ではないでしょうか。「宝松庵」は本格的な茶会はもちろん、要人のおもてなしや会議の同伴者プログラムで日本の伝統文化紹介の場として、また会議の合間の安らぎのひとときとして、幅広く利用されています。「宝松庵」で本物の日本文化に出会うひととき、それは国際会館を訪れる方々に、日本の印象としていつまでも残ることでしょう。