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ICC Kyoto

第5回日米貿易経済合同委員会

1966年(昭和41年) 7月5日~7月7日

国立京都国際会館のこけら落しともいうべきこの会議は、日米両国の閣僚を迎えて開催された。
1961年(昭和36年)に開かれた第1回委員会以来、常に政治的に大きな意味をもつ会議であり、この第5回委員会をみても、日本に寄せる米国の期待が高まりゆくなかでの開催ということで、きわめて重要な国際会議となることが確実であった。正式代表は日米両国7人ずつの閣僚であった。米国側は、ラスク国務長官、ユードル内務長官、フリーマン農務長官、コサー商務長官、ワーツ労働長官、バー財務次官、オーカン大統領府経済諮問委員の7人(当時)、日本側は、椎名外務大臣、福田大蔵大臣、坂田農林大臣、三木通産大臣、小平労働大臣、中村運輸大臣、藤山経済企画庁長官の7人(当時)と、日米両国政府の中枢が参集した。実際会議のために集まった人員は、夫人、隋員合わせて参加者総数240人。日米経済関係の重要度を反映して、それを取り巻く報道陣が、63社600人、うち外国報道関係者20社47人という大勢になり、いかにこの第5回日米貿易経済合同委員会が注目された会議であったかを物語っていた。
また、当館の建築、設備についても、ラスク国務長官はじめ米国代表団から、「芸術的」「渋くて豪華」「美しく快適」「世界で最も立派な建築物の一つ」など、多くの賞賛が寄せられた。

第6回国際電子顕微鏡学会

1966年(昭和41年) 8月28日~9月4日

国際高分子化学シンポジウム

1966年(昭和41年) 10月3日~10月4日

国際青年会議所世界会議

1966年(昭和41年) 11月7日~11月12日

国際青年会議所世界会議(JCI世界大会)が、開館直後に開催された。
20歳から40歳までの志の高い青年経済人によって「修練」「奉仕」「友情」という三信条のもと、「明るい豊かな社会」の実現を目指す青年団体として、国際青年会議所(Junior Chamber International)が主催する会議。
JCのエネルギーと連帯感が逞しく、盛りあがった会議だった。開会式での国旗入場は感動的シーンで、あざやかにステージを彩ったそして、その翌年の1967年(昭和42年) 1月20日から22日に、日本青年会議所通常総会が会館にて開催されてからは、毎年、日本青年会議所のその年度のスタートとなる通常総会・正副会頭会議・理事会等の諸会議・各委員会が開催され、その年の会頭の思いを全国に発信する会頭所信表明を行う新年式典を含めたすべての会合を総称して「京都会議」と呼ばれるようになった。
以来、日本青年会議所京都会議は毎年開催され、当館とともに歴史を重ねている。

第5回関西財界セミナー

1967年(昭和42年) 2月7日~2月10日

関西の企業経営者が年に一度、一堂に会し、国、地域、企業経営のあり方を議論する伝統あるセミナーである。当初は関西経済同友会、関西生産性本部、2003年からは関西経済同友会、関西経済連合会が主催している。
1963(昭和38)年、貿易自由化を控え、国際化社会に向けた研讃を行おうと、松下電器産業の創業者・松下幸之助氏や関西電力初代社長・太田垣司郎氏ら関西の財界人十数人が和歌山県・白浜に集結し、意見交換を行ったのが始まりである。以来、毎年2月に開催されており、1967年(昭和42年)からは、大阪で開催された1969年(昭和44年)、1995年(平成7年)、2002年(平成14年)の3回、神戸で開催された2005年(平成17年)を除き、継続して当館で開催されている。近年は企業経営者のみならず、外国企業、在日公館、大学、自治体など幅広い分野から参加者が集まり、合意事項を採択している。

※写真は1988年(昭和63年)第26回関西財界セミナー写真のものです。

世界主要新聞首脳会議

1967年(昭和42年) 5月7日~5月8日

第36回国際刑事警察機構会議

1967年(昭和42年) 9月24日~10月4日

第21回国際新聞発行者協会総会

1968年(昭和43年) 5月13日~5月17日

第1回日本万国博覧会参加国政府代表会議

1968年(昭和43年) 5月27日~5月30日

第35回国際鋳物会議

1968年(昭和43年) 10月7日

沖縄及びアジアに関する日米京都会議

1969年(昭和44年) 1月28日~1月31日

第3回日本万国博覧会参加国政府代表会議

1969年(昭和44年) 5月26日~5月30日

1969年国際溶接学会年次大会

1969年(昭和44年) 7月12日~7月19日

世界交通安全会議

1970年(昭和45年) 3月24日~3月26日

国際未来学会

1970年(昭和45年) 4月10日~4月16日

第4回世界仏教婦人大会

1970年(昭和45年) 4月18日

太平洋経済委員会第3回総会

1970年(昭和45年) 5月21日~5月23日

犯罪防止及び犯罪者の処遇に関する第4回国際連合会議

1970年(昭和45年) 8月17日~8月26日

世界宗教者平和会議

1970年(昭和45年) 10月16日~10月21日

1965年(昭和40年)の第2回バチカン会議において、ローマ教皇パウロ6世(当時)が、諸宗教との対話や相互協力を積極的に促進することを提唱したことが遠因となり、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教、バハイ教、儒教、ジャイナ教、神道、シーク教、ゾロアスター教などの宗教者により平和を模索する会議が設立された。1969年(昭和44年)の会合で第一回会議の開催地が協議され、平和憲法を有し、他宗教に寛容である日本、寺社の伝統の生きている京都が最適とされた。
会議開始前に、「人間家族としての人類の根本的一致と平等、および尊厳」について、日毎に異なる礼拝がメインホールで行われた。

国際材料学会

1971年(昭和46年) 8月15日~8月20日

第11回日米市長及・商工会議所会頭会議

1971年(昭和46年) 10月20日~10月23日

第4回国際醗酵学会議

1972年(昭和47年) 3月19日~3月25日

第5回世界麻酔学会

1972年(昭和47年) 9月18日~9月23日

第13回太平洋観光協会ワークショップ

1973年(昭和48年) 2月22日~2月23日

世界インダストリアルデザイン会議

1973年(昭和48年) 10月11日~10月13日

太平洋経済委員会第8回総会

1975年(昭和50年) 5月14日~5月16日

第6回会議組織に関する国際会議

1975年(昭和50年) 12月1日~12月4日

第23回国際眼科学会

1978年(昭和53年) 5月14日~5月20日

第6回LNG国際会議

1980年(昭和55年) 4月7日~4月10日

第16回国際昆虫学会議

1980年(昭和55年) 8月3日~8月9日

国際林業研究機関連合第17回世界大会

1981年(昭和56年) 9月7日~9月12日

第10回国際脳波・臨床神経生理学会議

1981年(昭和56年) 9月13日~9月18日

第5回国際農薬化学会議

1982年(昭和57年) 8月29日~9月4日

磁気国際会議

1982年(昭和57年) 9月6日~9月10日

第17回国際内科学会議

1984年(昭和59年) 10月7日~10月12日

京都プロスタグラジン会議

1984年(昭和59年) 11月25日~11月28日

第9回四極貿易大臣会合

1985年(昭和60年) 2月10日~2月11日

第4回国際化学療法学会

1985年(昭和60年) 6月23日~6月28日

高エネルギー・レプトン光子相互作用に関する国際会議

1985年(昭和60年) 8月19日~8月24日

第4回国際東洋医学会

1985年(昭和60年) 10月19日~10月21日

第1回「京都賞」授賞式
受賞者講演会・ワークショップ

1985年(昭和60年) 11月10日~11月12日

京都賞は、稲盛財団の主催による国際賞で、科学や文明の発展、人類の精神的深化・高揚に貢献された方々の功績を讃えるものである。

先端技術部門(エレクトロニクス・バイオテクノロジーおよびメディカルテクノロジー・材料科学・情報科学)、基礎科学部門(生物科学・数理科学・地球科学・宇宙科学・生命科学)、思想・芸術部門(音楽・美術・映画・演劇・哲学・思想)の3部門から各1賞、計3賞が、毎年贈呈されている。
授賞式は、1985年(昭和60年)の第1回以来、京都が錦繍に染まる11月10日に当館にて開催されている。毎年、学界、政財界や各国大使館等から約1400人が出席し、日程も恒例化しており、11月10日に授賞式、11日に受賞記念講演会、12日には受賞記念ワークショップが開催されている。
京都賞は国籍や人種、性別、年齢、信条を問わず、科学の発展や精神的深化の面で大きく貢献した人々に贈られ、京都発の国際アワードとして、創設以来当館で開催され、世界的に高い評価を得ている。

第8回世界仏教婦人会大会

1986年(昭和61年) 10月8日~10月9日

第5回いけばな世界大会

1986年(昭和61年) 10月15日~10月21日

第1回世界歴史都市会議

1987年(昭和62年) 11月18日~11月21日

第1回国連軍縮京都会議

1989年(平成元年) 4月19日~4月22日

第23回日本医学会総会

1991年(平成3年) 3月27日~4月10日

日本アカデミー賞授賞式

1995年(平成7年) 3月19日~3月20日

第8回ワシントン条約締結国会議

1992年(平成4年) 3月2日~3月13日

第45回国際捕鯨委員会科学委員会及び総会

1993年(平成5年) 4月19日~5月14日

平安建都1200年記念平安会議

1994年(平成6年) 6月8日~6月9日

第4回世界内視鏡外科学会

1994年(平成6年) 6月15日~6月19日

国際電気通信連合全権委員会議

1994年(平成6年) 9月19日~10月14日

第3回APEC蔵相会議

1996年(平成8年) 3月16日~3月17日

APEC(Asia-Pacific Economic Cooperation アジア太平洋経済協力)は、アジア太平洋地域の21の国(設立当初は12の国)と地域が参加する経済協力の枠組みであり、経済規模で世界全体のGDPの6割、世界全体の貿易量の約5割、世界人口の約4割を占める「世界の貿易センター」として、アジア太平洋地域の持続可能な成長と繁栄に向けて、貿易・投資の自由化、ビジネスの円滑化、人間の安全保障、経済・技術協力等の活動を行っています。
APEC地域の直面する経済問題を討議する、APEC蔵相会議は、マクロ経済・資金フローをはじめとする幅広い経済問題を討議するため、1993年(平成5年)にアメリカのシアトルで開催されたAPEC首脳会議によって創設され、第3回会議にはAPECメンバーの18力国・地域の大蔵大臣らが参加した。
1995年(平成7年)11月のAPEC大阪首脳会合を受け、最近のマクロ経済動向に加え、「金融資本市場の発展」「社会資本整備に向けた民間資金の導入」「為替変動が貿易・投資に与える影響」の3つの課題を中心に掘り下げた討議が行われ、共同声明が採択された。

第23回国際天文学連合総会

1997年(平成9年) 8月17日~8月30日

気候変動に関する国際連合枠組条約第3回締約国会議
地球温暖化防止京都会議(COP3)

1997年(平成9年) 12月1日~12月11日

地球環境に大きな影響を与える二酸化炭素などの温室効果ガスの削減数値目標を決定する地球温暖化防止京都会議(COP3)は、わが国で開催された国連関係の会議としては最大規模である。締約国およびオブザーバー国161力国、地域の代表2273人、IGO・NGOなどのオブザーバー3865人、報道機関483社3712人の計9850人が登録参加し、予定会期を1日延長した12月11日、「京都議定書」を採択して幕を閉じた。

京都開催に至るまで

1995年(平成7年)、ベルリンで開催された第1回締約国会議で、わが国への招請を検討する旨の政府代表演説が行われ、これを機に当館も京都府・京都市・京都商工会議所・京都コンベンションビューローと一体となり、京都開催に向けた積極的な誘致活動を展開した。  翌1996年(平成8年)、日本招請についての閣議了解が得られた後、京都、横浜、神戸、宮崎など6自治体が名乗りを上げる中、ジュネーブでの第2回締約国会議の全体会合で京都での開催が決議された。 京都が、そして京都国際会館が、この重要な会議の開催地として選ばれたのは、

  1. ITU(国際電気通信連合)全権会議、ワシントン条約締約国会議、国連軍縮京都会議など多くの国際会議が行われ、充分な受け入れのノウハウがあること。
  2. 「日本文化の中心・京都」として海外に通じる魅力があること。
  3. 会議を主催する上で、気候変動枠組条約事務局および国連会議サービスが必要とする大・中・小の会議室、事務局職員等が執務する多数の小部屋、NGO及びプレス等が執務するためのイベントホール等の施設が整備されていること。
  4. 最新の通信事情への対応が進んでいること。
  5. 会議運営スタッフが国際会議に熟練しており、会議の進行状況に応じて柔軟かつ臨機応変な対応ができるということ。

等の理由によるものであったという。

波乱含みの11日間

会議の経緯は、連日、新聞・テレビ・ラジオのトップニュースとして報じられた。海外へはEBUやCNNその他のメデイアを通じ、また、インターネットのアクセス数も1日十数万回を数え、京都での出来事が世界を駆け巡った。以下この11日間を簡単に振り返ってみる。

開幕

1997年(平成9年)12月1日午前8時ごろから各国の代表団やオブザーバーらが入館。3ヵ所の入口では、国連警備隊とガードマンによる金属探知機や荷物検査の×線透視装置を使用しての所持品点検もあり、受付には長い行列ができた。
開会式は午前10時から始まり、議長に大木浩環境庁長官(以下肩書は当時)を選出。日本政府を代表して小渕恵三外相の歓迎挨拶に引き続き、荒巻禎-京都府知事、桝本頼兼京都市長、マイケル・サミット・クタヤール国連気候変動枠組条約事務局長が挨拶。その後、手続き規則や議題の採択など運営方法が決められ、12月10日までの日程で本会議のほか、全体委員会、非公式委員会、非公式会合を含む国際交渉がスタートした。実務レベルの全体委員会の議長にはラウル・エストラーダ氏(アルゼンチン駐中国大使)が選ばれた。

フルに活用された京都国際会館

環境にやさしい会議場を目指すことを基本方針に打ち出した当館では、ごみの分別収集の徹底、リサイクルができる食器類の導入、事務用品におけるエコ商品の使用、自動販売機の削減、冷暖房の代替フロン対策、池水の中水利用などを実施した。また、通常より低い19~20℃の当館の室温設定は、参加者にも職員にも少々厳しいものを感じさせた。
会議も中盤に入るころより、非公開の全体委員会や非公式会合、政府代表同士の二国間交渉や複数国を交えた話し合いが相次いで行われたほか、初日からもNGOなどの特別イベント、プレスブリーフィングなどが連日40から60件余り開かれ、深夜に及ぶこともしばしばであった。会期中多数の会議や会合が開かれ、当館全体がフルに使用された。

会期延長の末に議定書採択

6日までの事務レベル協議につづき、8日からは2日間の日程で橋本龍太郎首相ら各国の首脳、閣僚が出席する閣僚級会合が、厳重な警備体制が敷かれる中で始まった。 この閣僚級会合に先立ち橋本首相と米国のゴア副大統領の会談が特別室で和やかな雰囲気の中で行われた。
閉会を翌日に控えた9日になっても、会議の行方がまったくみえない。焦りと緊張が交錯する中、水面下での折衝が繰り返され、会期延長もささやかれた。全体委員会も断続的に開かれ、いつ再開されるかわからない。代表団らの疲れもピークに達した10日午前3時過ぎにようやく再開したが、わずか15分で終了となった。
最終日の10日に至っても、京都議定書を審議する全体委員会は、午後から再開されたものの夕方からいったん休憩、再開されたのは11日の未明である。その後もさらに中断があり、京都議定書成案をもって全体委員会の終了が告げられたのは、11日午前10時10分であった。

余談であるが、時間延長となったため、審議の後半から7カ国語の同時通訳が日本語と英語のみとなる事態となった。なお、それまでの本会議や全体委員会においての通訳は、条約事務局の手配による英語、仏語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語の6カ国語の同時通訳者と外務省が要請した日本語の同時通訳者により行われていた。
11日午後に開かれた最後の本会議で、徹夜で協議した京都議定書案が報告され、「京都議定書」が採択された。 2008年(平成20年)から2012年(平成24年)までの5年間で、二酸化炭素など温室効果ガスを日本は1990年(平成2年)比6%減、米国が同7%減、欧州連合が同8%減、先進国平均同5.2%を削減するという内容である。数値目標を盛り込んだ世界初の法的拘束力をもつこの「京都議定書」が採択され、会期延長も含め11日間に及んだ会議は閉幕した。

第22回世界遺産委員会京都会議

1998年(平成10年) 11月30日~12月5日

第63回国際電気標準会議京都大会

1999年(平成11年) 10月18日~10月29日

西太平洋地域ポリオ根絶京都会議

2000年(平成12年) 10月27日~10月30日

第30回世界司厨士協会連盟世界会議

2002年(平成14年) 3月24日~3月28日

第26回国際内科学会

2002年(平成14年) 5月26日~5月30日

第18回国際臨床化学会議

2002年(平成14年) 10月20日~10月25日

第3回世界水フォーラム

2003年(平成14年) 3月16日~3月23日

世界水フォーラムは、水の専門家、政府、NGO、企業等さまざまなステークホルダーが一堂に会し、「水をめぐる紛争」、「水不足」、「水質汚濁」、「洪水」などの水に関する多様な問題を解決するためにスタートしたもので、「国連水の日」に定められた3月22日を含む期間に開催された。
1997年(平成9年)のマラケシュ(モロッコ)、2000年(平成12年)のハーグ(オランダ)での開催につづき、第3回世界水フォーラムは、アジアで初めて京都を中心に滋賀、大阪の琵琶湖・淀川流域を舞台に、182力国・地域から2万4060人の参加を得て開催された。
京都への誘致については、ハーグ会議開催の直前に、次回を日本で開催したいという話があがったのを契機に、建設省、国土庁(当時)の関係者にアプローチした上で、地元行政と連携を図り、政府関係者に働きかけを行いながら進めていった。また、準備段階から実施に到るまで、水フォーラム事務局長の尾田栄章氏以下の関係者と終始緊密な連携・連絡をとった。
3月16日の開会式は、皇太子同妃両殿下ご臨席のもと、第3回世界水フォーラム運営委員会橋本龍太郎会長、世界水会議ムハマド・アブザイド会長による挨拶で始まり、皇太子殿下のお言葉、モロッコ王国ムーライ・ラシッド王子、オランダ王国ウィリアム・アレキサンダー皇太子のスピーチにつづき、フランスのシラク大統領のビデオメッセージが上映された。3月23日の閉会式にも皇太子同妃両殿下のご臨席をいただいた。
名誉総裁としてご臨席された皇太子殿下から、「京都と地方を結ぶ水の道―古代・中世の琵琶湖・淀川水運を中心として―」という記念講演も行われた。
世界水フォーラムは、閣僚級国際会議と並行して、関係団体・機関およびNGOなどによる数多くの会合・催しが行われた。テーマの数は38、分科会の数も350余りに達するという極めて多岐にわたる国際会議であり、当館も水フォーラム事務局と一体になって調整・連絡にあたった。
フォーラムの成果として、分科会からのアピールをはじめ「世界水行動報告書」、「閣僚宣言」、「水行動集」、「暫定フォーラム声明文」などの発表があり、水問題の解決への思いを発信されるなどして、成功裡に幕を閉じた。

第18回国際音響学会議

2004年(平成16年) 4月4日~4月9日

第2回世界薬学会議

2004年(平成16年) 5月30日~6月3日

国連改革ハイレベル委員会関連京都会合

2004年(平成16年) 7月6日~7月7日

第16回国際解剖学会議

2004年(平成16年) 8月22日~8月27日

第1回科学技術と人類の未来に関する
国際フォーラム(STSフォーラム)

2004年(平成16年) 11月14日~11月16日

「社会における科学技術-その光と影」をテーマとする第1回科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STSフォーラム)が、紅葉あざやかな古都において開催された。元科学技術政策担当大臣の尾身幸次衆議院議員の呼び掛けによってはじまったこのフォーラムは、「科学技術版ダボス会議」とも称され、50カ国から科学者、財界人、政策を担当する閣僚など様々な立場の識者約500名の参加を得て行われ、まさに人類の叡智が京都に結集した。
第1回のフォーラムでは、開会式に皇太子殿下がご臨席され、本フォーラムの目的に対する賛成の意をご表明された。その後、小泉内閣総理大臣(当時)による基調講演が行われ、環境保護と経済成長の両立を可能とするのは科学技術の力であるとの信念が披露された。
会合では科学技術政策の光と影に関し、人類の将来を見据えた活発な意見交換が行われた。科学技術の驚異的な進歩は、人々に快適さや豊かさといった「光」をもたらした一方で、地球温暖化などの環境問題や安全に関する問題、さらには生命倫理の問題など、「影」をも同時にもたらした。これらは、一国では解決できず、地球規模での対応を必要とし、21世紀において人類が直面しているこのような問題を継続的に討議することとしている。

2005年(平成17年)には第2回が開催され、9月11日から13日までの会合では2004年(平成16年)に引き続き、68の国・地域より10名のノーベル賞受賞者を含む650名の科学者、政治家、産業界のリーダー、そしてオピニオンリーダーが出席した。
第2回以降も、毎年京都で開催することが決定され、本フォーラムを運営するための、NPO法人STSフォーラムが発足した。
人類全体の利益を明日の地球に拡げるための営為が、京都の地で胎動しはじめた。

日米医学協力計画40周年記念国際会議

2004年(平成16年) 12月6日~12月11日

京都議定書発行記念行事

2005年(平成17年) 2月16日

ASEM第7回外相会合

2005年(平成17年) 5月6日~5月7日

ASEM(アジア欧州会合)は、アジアと欧州の相互理解を深め、連携強化を確認するための首脳・閣僚レベルの会合で、第7回外相会合には、アジアから日中韓およびASEAN(東南アジア諸国連合)の13力国、欧州から25力国とEUの外相が参集した。
アジアからは日中韓及びASEAN(東南アジア諸国連合)の13力国、欧州からは25カ国と1国際機関の代表団が、薫風爽やかな京都に参集した。
会議では、町村外務大臣(当時)の議事進行のもと、安全保障上の脅威への対応、国連改革の推進、貿易自由化など幅広い分野の問題に取り組むために、アジアと欧州の連携を強化することが確認された。また、開会式は2005年(平成17年)4月に開館したばかりの京都迎賓館にて行われ、当館は、音響、同時通訳受信器等、様々な機材を持ち込むとともに熟練スタッフがその運営に従事した。この開会式は、京都にふさわしい和風迎賓館の実質的な柿落としとなり、今後も当館は、京都迎賓館とも協力、連携しながら、国賓や閣僚級の方々が来られる国際会議の誘致の促進を図ることとなった。
会議期間中は、ASEANプラス3(日中韓)と日中韓の非公式外相会合をはじめ、多数の関連会合が開催された。特に、ASEM外相会合の直前や直後に散見された各国外相の二国間会談には、当館の広大なロビーも大いに活用された。
このような政府間会議では、会議の始まる直前まで、会議スケジュールや会場レイアウトなどが決まらないことがしばしばあり、今回もそのような時間との競争が頻繁にあったが、数々の政府間会議の経験を有するスタッフの結集のもと、俊敏に対応することができた。
各国大臣の夫人には、地元高校生との交流や、呈茶、生け花、京懐石料理、御所の散策等を同伴者プログラムとして楽しんでいただき、誠実でフレンドリーな対応は、言葉以上に心に伝わった。このような体験を通して、京都の伝統文化や人々のホスピタリティーを身近に感じていただけた。
国際社会が直面するグローバルな課題への取り組みに向け、アジアと欧州の対話が一歩前に進めた会議であった。

第7回世界合唱シンポジウム

2005年(平成17年) 7月27日~8月3日

第20回国際生化学・分子生物学会議

2006年(平成18年) 6月18日~6月23日

第40回アジア開発銀行年次総会

2007年(平成19年) 5月4日~7日

G8京都外相会合における国際メディアセンター及び共同記者会見

2008年(平成20年) 6月26日~6月27日

第5回科学技術と人類の未来に関する
国際フォーラム(STSフォーラム)

2008年(平成20年) 10月5日~10月7日

源氏物語千年紀記念式典

2008年(平成20年) 11月1日

第36回国際生理学会世界大会

2009年(平成21年) 7月27日~8月1日

第4回世界トライボロジー会議

2009年(平成21年) 9月6日~9月11日

KYOTO地球環境の殿堂表彰式 京都環境文化学術フォーラム

2010年(平成22年) 2月13日~2月14日

第14回国際内分泌学会議

2010年(平成22年) 3月26日~3月30日

第1回世界加速器会議

2010年(平成22年) 5月23日~5月28日

第7回国際整形外科基礎学術集会

2010年(平成22年) 10月16日~10月20日

第17回APEC財務大臣会合

2010年(平成22年) 11月5日~11月6日

第23回国際血栓止血学会

2011年(平成23年) 7月23日~7月28日

第15回ILOアジア太平洋地域会議

2011年(平成23年) 12月4日~12月7日

第19回国際質量分析会議

2012年(平成24年) 9月15日~9月21日

世界遺産条約採択40周年記念最終会合

2012年(平成24年) 11月6日~11月8日

世界遺産条約採択40周年記念最終会合が、日本政府(外務省・文化庁・環境省・林野庁)の主催、ユネスコ世界遺産センターの協力のもと、3日間にわたって開催された。
世界遺産条約は1972年(昭和47年)に採択され、世界遺産にはエジプトのピラミッドや中国の万里の長城、古都京都の文化財など962件が登録されている。また、条約締約国は190カ国にのぼる。
開会式では、議長を務めた外務省文化交流担当大使の西林氏(当時)が「世界遺産条約が将来に向け重要な役割を果たすように、世界遺産の現在、過去、未来を考えたい。」と挨拶され、つづいて、ユネスコのイリーナ・ボコバ事務局長は「条約は国際協力のモデルとなり、それ自身が人類共有の遺産となった。
将来のために守らないといけない。」と述べられ、会場の前には、日本の世界遺産を紹介した写真パネルや映像上映が行われた。
3日間の日程で開かれた最終会合には60カ国から約600人が参加し、議論の成果として、世界遺産の保全と地域社会の関わり方の重要性などをうたった「京都ビジョン」を発表し閉幕した。

第11回世界生物学的精神医学会国際会議

2013年(平成25年) 6月23日~6月27日

2013年京都国際地理学会議

2013年(平成25年) 8月4日~8月15日

国立京都国際会館をメイン会場として、6日間の日程で国際地理連合(IGU)の2013年京都国際地理学会議(IGU KyotoRegional Conference 2013)が開催された。日本での開催は33年振りとなった。「地球の将来のための伝統智と近代知」のメインテーマのもと、参加者数は、当初の予定を大きく上回り、国内688人、海外743人(61カ国・地域)、合計1400人が集まった。IGUの地域会議(Regional Conference)としては異例の多さとなった。
会議の開催地として京都を選んだことは、まさに今回のテーマに繋がっていく。京都は、日本の古都であるとともに、当会場が、京都議定書(1997年12月)の採択された地でもある。世界的な環境問題への取り組みやそれに関する世界的な理解の高まりという点で、この記念すべき当会場に新しい歴史を付け加えていくことを目指した、まさに地球の将来についての包括的な討議がなされ、プライナリー・セッション、コミッション・セッション、一般セッション、ジョイント・セッション、特別セッション、ポスター展示、その他合計1256件の発表が行われた。
そこでは、地球の持続的発展と環境問題解決のため、グローバル変化と人口流動、生物多様性、自然災害、ジオパークなど多様なトピックについて活発な討議が繰り広げられた。
5日の「2013年京都国際地理学会議」開会式と「第10回国際地理オリンピック」の表彰式には秋篠宮ご夫妻がご臨席された。
また、2011年(平成23年)3月11日に発生した地震、さらに、福島原発の事故を含む、その後の未曽有の災害は、日本のみならず全世界を揺さぶり、これを契機として、きわめて多くの人々が、既往の価値、優先事項、生活様式などを再検討することとなった。京都国際地理学会議は、この重大な問題をめぐる情報交換と、考察、ネットワーク作りのための格好の機会を提供することとなった。

第29回日本医学会総会2015関西

2015年(平成27年) 4月11日~4月13日

国内医学界最大の行事「第29回日本医学会総会2015関西」が、京都を中心に関西一円で開催された。122の分科会からなる日本医学会総会は、日本医学会が日本医師会と協力して医学および医学関連領域の進歩・発展を図り、学術面、実践面から医学・医療における重要課題を総合的に討論することを目的としている。1902年(明治35年)に東京で第1回の総会が開催されて以来、4年ごとに開催されており、2015年(平成27年)で第29回目となる。
2011年の前回大会は東日本大震災の影響で学術講演会を形式を変えて行われたため、実質8年ぶりの開催となった。「オール関西」による取り組みとして、特別講演、学術展示、医学史展など、当館をメイン会場として京都市内各地で実施された。そのほか、一般市民を対象とした多彩なプレ・連携イベントが、神戸・大阪など関西6府県各所で開催され、総数40万人を超える一般客の参加があり、かつてないスケールとなった。
また、京都国際会館では、「医学と医療の革新を目指して―健康社会と共に生きるきずなの構築」をメインテーマに、最先端の医学研究が紹介され、約30,000名が参加。開会式では、皇太子殿下のご臨席を賜り、世界的指揮者の佐渡裕氏と子供たちの楽団 「スーパーキッズ・オーケストラ」によるコンサートがオープニングを飾った。
つづく特別講演では、ノーベル生理学・医学賞を受賞された京都大学の山中伸弥教授が登壇された。
医療関係者が研究に対する更なる理解を深めただけでなく、一部の講演では、企業関係者・一般市民の参加が可能となり、社会に開かれた大変有意義な会議となった。

第17回世界経済史会議

2015年(平成27年) 8月3日~8月7日

東アジア地域包括的経済連携 第8回会合

2015年(平成27年) 6月8日~6月13日

第7回国際新興・再興豚病学会

2015年(平成27年) 6月21日~6月24日

日本植物園協会創立50周年記念大会

2015年(平成27年) 6月25日~6月26日

第5回世界工学会議

2015年(平成27年) 11月29日~12月2日

第13回国際人類遺伝学会

2016年(平成28年) 4月3日~4月7日